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ほうりつ雑記帳

モノサシ

法律雑記帳ってくらいですから、本当に、徒然なるままに雑記することをどうかご容赦願いたく・・・気楽に読み流していただくことが大前提の駄文であることを最初にお断りしておきます。

さてもさても、そもそも「法的なトラブルや紛争に巻き込まれやすい人」なあんて、世間的に存在するのでしょうか?(あくまで「巻き込まれやすい」という受け身の意味ですから、自分から喧嘩を吹っ掛けるような好戦的、事件屋タイプの方の話ではありません。)

まあ法的トラブルの種なんて、職場、家庭、学校、地域など市井のそれこそありとあらゆる場面にどこにでもいくらでも転がっているわけだから、誰しもいつ何時やっかいな紛争に巻き込まれないとも限らないわけですし・・・ほんとうに「法的トラブルに巻き込まれやすい」なんてぞっとしない括りができるの?と些か疑問に思われる向きもいらっしゃるかもしれません。

もちろん、これに関しては各人各様の意見があるところでしょうが・・・事件記者として革靴の踵をすり減らしていた頃から、マチ弁として日々交渉現場や裁判法廷を行き来している現在に至るまで、幸か不幸か、それこそ大小千差万別のトラブルの真っ只中に身を置かざるを得なかった実体験に基づく「私見」を厚かましく述べさせていただけるのなら・・・答えは、まあ、混沌として殺伐たる現代社会においては、限りなく「イエス」ではあるまいかと。

まず、いわゆる「誠実な、いい人」や「常識人」に該当する方々は、はっきりいって二重丸の要注意。ある意味で、最も「法的なトラブルや紛争に巻き込まれやすい人」の筆頭格とも言えます。

おいおい、それじゃあものの道理がとおらねえ、話の筋がまるで逆じゃあないのか?と訝ることなかれ、誠実ないい人や常識人の方が騙され、裏切られ、思わぬ背信的行為等の被害に遭遇し易いというのが紛争の現場における実務的な「生」の感覚なのです。

「こんなはずじゃなかったのに・・・」、「信頼していたのに・・・」、「(相手方は)こんなことは言っていなかったのに・・・」などと悲痛な思いを抱えオロオロ困惑しながら(時には特別送達郵便で受け取ったばかりの訴状を抱えて半泣き状態で)事務所に駆け込んで来られる方々の何と少なくないことか・・・。

言葉巧みに騙されて、詐欺や悪徳商法等のトラブルに巻き込まれるのも、また、離婚、相続、不動産、労働問題、医療問題等ありとあらゆる場面においても思いがけない理不尽な紛争に引きずり込まれてしまうのも、その多くがいわゆる「誠実ないい人」の類であるケースが多く、誠実でお人よし、オマケニ、そこそこ小金もある・・・というような御仁はもはや三重丸のド本命、これまで法的トラブルと無縁で生きてこれたのは、もしかしたら単に幸運だったから・・・だけなのかもしれません。

では、いったい、なぜ?誠実な常識人、いい人ほど、法的なトラブルに巻き込まれやすいのか?

この謎を解き明かすキーワードは、ずばり「モノサシ」。そう、定規、基準、尺度、スタンダード等と換言もできるあの「モノサシ」ではなかろうかと思うのです。

あるとき、「バカの壁」の著者として知られる解剖学者・養老孟司さんが大分市で開かれた講演会で、心理学的な見地から大変興味深いことを述べておられました。

養老氏曰く、例えば、振り込め詐欺等で騙され易い人はいわゆる「いい人」であることが多い・・・なぜなら、人は自分のモノサシで他人のことを量る性質をもっているから、そもそも人を騙そうなどと思ってもない「いい人」は、同じように自分のことを騙そうとする人がいるなんて思っていないからなのだ・・・と。

要するに、人間というものは、程度の差こそあれ各々自分の価値観や倫理観等に支配された自分の「モノサシ」を内面に持っていて、ともすれば、そのモノサシでもって物事や他人のことを判断してしまう性質があり、誠実でいい人が自分のモノサシで物事や相手を判断する場合、相手方がまさかそんな狡くて不誠実な企みをその腹の中に隠し持っているとなどとは及びもつかないということなのでしょう。

いい人がいい人であるがゆえにバカを見るなどというのは何とも理不尽で嘆かわしい事態ではありますが、法的トラブルや紛争の実務的な現場においては、実は、これ、決して珍しい出来事ではないのです・・・。

ところで、そういう事案や場面における弁護士の仕事っていいますと、まあ、正直、本当に精神的にも肉体的にもキッツイこともあるんですが、逆に、そんな場面こそ、なあんとかこの理不尽な事態をその人と一緒になって打開してみたい・・・、一日も早くあるべき平穏を取り戻してあげたい・・・とまるで『太陽に吠えろ』の若手刑事のようなフレッシュで熱い感覚を取り戻せる瞬間ではあります…まあ、あとはそのアッつい思いをどう冷静かつ論理的に組み上げ、懸命に伝えていくかが大切で難しいのですけど・・・。

さてさて、この「モノサシ」という観点から論を進めていきますと、法的なトラブルに巻き込まれやすいのは、何も誠実でいい人たちに限ったものではなく、普段から人に頼らず、人の意見に左右されず何でも自分自身で行動してしまいがちないわゆる「しっかり屋さん」タイプの人なんぞも(例えば、俺に付いて来ぉい的なワンマンタイプの経営者の方とか)、やはり注意が必要ではないかと思われます。

自分のモノサシだけで判断してしまうことが多いと、思わぬ場面で他人との軋轢や誤解を生み、それが法的なトラブルにまで発展するリスクを含んでいる可能性があるからです。

ここでは、なぜ人は相争うのか?という紛争の本質に、ちょっとだけ迫ってみます。

司馬遼太郎氏は、ある著書の中で、「人間の相克は利害にもよる。しかし尺寸にもよる。」と述べ、さらに、「人間の不幸は人によって尺度の大小が異なっていることである。この平凡な事実が人間と人間との関係に誤解を生み、軋轢を生せしめ無数の悲劇や喜劇を歴史の中に生み、ときには歴史を変動させてきた。日常のレベルの上ではなおさらのことである。」と喝破しています。

尺寸、尺度とはすなわち人それぞれがもっている考え方の「モノサシ」のことであり、人間の紛争は、大小問わずその多くがお互いの考え方や価値観の基準、すなわち「モノサシ」の違いにその原因があるのではないかということです。

自分にとっての常識が相手にとって常識ではなかったり、相手にとっての常識が自分にとっての常識ではなかったり・・・例え同じ日本人であったとしても、それぞれの性格や拠って立つバックグラウンドなど様々な要因によって「モノサシ」は多少なりともその大小長短を異にするものであり、たとえその歪やズレが僅かであったとしても、そこに利害や愛憎が絡んでくればタチドコロニやっかいな法的トラブルに発展しかねません。

例えば、若いころはあんなに仲が良かった兄弟姉妹らが、年を取って両親が鬼籍に入った途端に骨肉・泥沼の相続争いを展開する・・・などいう事例はまあ珍しくはないことですが、それらの全てというわけではないにしろ、当該紛争の原因の根っこのところを慮るに、兄弟姉妹らがそれぞれに家庭(配偶者、子供ら)を持って互いに異なる生活環境や家庭事情で歳月を経るうちに、いつの間にかそれぞれの「モノサシ」に修復や調整が困難なほどのズレや軋轢が生じてしまっていた・・・なあんてことに起因するのではないかという思いを禁じ得ないような案件も少なくありませんし、離婚などに至っては、その大部分が煎じ詰めてみればお互いの醸成してきた「モノサシ」の違いに依拠するのではないでしょうか。

このように考えてみますと、無用な法的トラブルの芽を少しでも摘み取っておくためには、人生の重要な局面においてはもちろんのこと、社会生活、日常生活のレベルにおける人との接し方やかかわり方においても、「もしかしたら、目の前の相手とは考え方の『モノサシ』が違うかもしれない」、「いやそもそも全く同じ『モノサシ』を持っていることなど有りえない」、「自分の『モノサシ』はこの場面では通用する代物だろうか?」などということをよくよく肝に銘じておくことが、肝要ではないかと思うのであります。

いい人タイプもしっかり屋さんタイプにしても、自分のモノサシ「だけ」で他人のことを量ったり、物事を判断していくのは、「法的なトラブルに巻き込まれ易い」という観点からはあまりお勧めできることではありません。

なるべくであれば、普段から自分の「モノサシ」の補助をしてくれるような良き相談相手を確保しておいたり、物事の判断に際してはできる限り謙虚な心持ちで、より多くの人の意見に耳を傾けるよう心掛けるだけでも、現実の法的トラブルや紛争に巻き込まれてしまうリスクは、かなりの部分で回避できるのではないか?などと考えながら、また、かく言う自分自身の「モノサシ」は果たして大丈夫なのだろうか?などと考えながら、本日も執務をいたしております。

 

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